自分の軸を見つける旅
2ヶ月ほど前のことだ。
最近お世話になっているTさんに、こんなことを質問された。
(Tさんは息子といってもおかしくないくらい、私よりはるかに若い男性だ)
「もし、今魔法でなんでも叶ったら何をしてますか?」
「それをして、どうなりたいですか?」
その時なんと答えたんだったか、実はもう思い出せない。
しどろもどろになったことは覚えている。
明確なイメージが湧かなくて、頭の中が混乱したことは覚えている。
ただ、彼に言われた言葉だけは今も頭の隅にはっきり残っている。
「ラジさんが話す夢ややりたいことは、自分本位というより相手本位のことが多い気がする。」
" 誰かに何かをしてあげたいという気持ち "
「それは決して悪いことじゃないんだけど、」
と、彼は言った。
「軸が自分にないと、本当にやりたいことはわからない。
本当にやりたいことじゃないと続かないし頑張れない。」
「まず、自分が幸せになることを許す。
幸せになってもいいんだと自分に許可を与える。
自分のやりたいことをやって、
なりたい自分になって、
それから世の中に価値を与える・・・」
私の頭は混乱していた。
許していい?
幸せになっていい?
頭がボーッとして、その意味がよくわからない。
「最初からわかる人なんていない。」
と、彼は言った。
彼も以前はわからなかった。
でも彼は一歩を踏み出した。
ただひたすら小さな一歩を踏み出し続けて、過去の自分が作った限界を突き抜けた。
そんな彼だから、きっと見えている。
どうすれば自分の軸を見つけられるのか。
どうすれば自分の軸からブレずにいられるのか。
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あれから2ヶ月、何かの拍子にやたらと涙が出る。
一歩を踏み出そうとして、なかなか踏み出せない自分がいる。
踏み出そうと上げた足をなかなか下ろせなくて、
子供のように震えている自分がいる。
心の奥のものすごくやわらかいところが、ぶるぶると震えているのを感じる。
思えばずーっと迷子だった。
自分の人生は、まるで森の中で迷子になっているような人生だとよく思った。
いつも生きる理由を探していた。
ただ、迷子になったせいで森の中でたくさんの動物に出会った。
色んな動物が色んな風に生きているのを見て、
" どうにかして生きていけるものだ "
そう思うようになった。
そして、ひょんなことから自分の家庭を持つことになった。
お金がなくて色んなことを我慢しなければならなかったけど、
愛する存在が私の心を豊かにした。
生きている理由なんか考えることはなくなった。
苦しい時はただ、
「死ぬわけにはいかない」
「倒れるわけにはいかない」
そう心の中で唱えながら生き続けた。
愛すべき存在のおかげで、自分のエゴは薄らいだ。
愛する存在のためならば、頑張れるということを知った。
自分のことを考えるよりも誰かのことを考えている方が豊かな気がした。
子育てに仕事に家事に・・・地べたを這うように生活にまみれている間、
正直なところ自分のことを考える暇がなかった。
でも本当は気づいている。
心が悲鳴をあげていることに。
愛情深い家族にも恵まれている。
いつの頃からか、自分のまわりにいやな人や嫌いな人もいなくなった。
今、自分のまわりはOKだ。
それなのに自分にだけいつまでもOKが出せない。
自分のことを無力だと感じている。
そして子育ても一段落しかかった今、
再び棚上げしていた自分自身の問題を突きつけられる。
許していい?
幸せになっていい?
許せていないとすれば、それはなぜなのかな?
軸が自分からズレてるからだよ。
そういうこと?
他人の判断基準で自分を評価してきた?
評価されなければ価値がないように感じてきた?
人と比べることばかりしてきた?
自分のユニークさをさらけだしていいんだよ。
自分がやりたいこと、
自分がほしいもの、
ちゃんとフォーカスしてクリアーに感じてごらん。
まず、自分が幸せになるんだよ。
"誰かのため"は、自分があふれるほど幸せになってからだよ。
"誰かのため"っていう言葉で心の隙間をごまかしちゃだめ。
また、なんだか泣けてくる。
夜明け前なのかな・・・
光がさしている方向はおぼろげながらわかるんだけど、
まだ暗いんだよ。
でもそのおぼろげな感覚を頼りに、まず小さな一歩を踏み出してみる。
"誰かのため"という言葉を、今は封印して。

2006/11/11 マロン
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