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"すずらん荘" のNくん



私には、昔から
自分が知らない世界に遭遇すると "ワクワク" する習性がある。

ただそれは、多くの人が興味をもつような
キラキラした美しい世界や楽しい世界というよりはむしろ、
なにかちょっと翳りのある、
多くの人は敢えて見たいとは思わないかもしれない
アンダーグラウンド気味な世界に対してだったりする。

なぜだか、そういうところで
すったもんだしながら生きている人に
少なからず興味を惹かれるのだ。


中学1年の時、
クラスにNくんという、おとなしい男の子がいた。
休憩時間も自分の席に静かに座っているようなタイプで、
I くんという、これまたおとなしめの男の子が
唯一友達みたいな感じだったと思う。

学期が変わって、私は図書委員になり、
図書班の班長になった。
その班のメンバーにNくんがいた。

ところが当時Nくんはほとんど学校に来ていなかった。
まだ登校拒否とか不登校という言葉すらない時代だった。
ただずっと彼は休んでいた。

そこで、班の友達と2人で
Nくんの家を訪問しようということになった。

訪問の目的が、彼の登校を促すためだったのか、
図書班の制作原稿に参加してもらうためだったのか、
今はもう、当初の目的は思い出せない。

でもとにかく、友達と2人で行った、彼の家へ。

彼の家は、「すずらん荘」という名前の木造アパートの一室だった。
聞くところによると、
ここにお父さんと2人で住んでいるということだった。

数十年前の同級生のアパートの名前を
今でもこれほどはっきり覚えているのは、
それほどあの時の光景が
刺激的だったからだ。

すずらん荘という名前の古い木造アパート。
その一間しかないであろう一室に、
どういう理由でか
父と二人だけで暮らしている少年・・・

そこに、私や友達も知らない
まったく違う人生があるという事実・・・


「Nくん!」

「Nくん!!」


私たちは彼の部屋のドアを叩きながら
何回も名前を呼びかけたが
中からはウンともスンとも返事がなかった。

部屋にはいるはずなのだが、
返事は帰ってこなかった。

何回かすずらん荘に通った。
時には部屋の中に、I くんがいるらしいときもあった。
でもなかなか鍵を開けて出てきてはくれなかった。


このあとの記憶はうろ覚えだ。

結局、図書班の制作原稿に、Nくんの自筆を盛り込むこともできたし、
学校にも登校してくるようになった。

1年生の終わりに、クラスメイトに書いてもらったサイン帳。
その中にはNくんのものもあった。

ページの真ん中に、彼が描いてくれたバラの花一輪。
その横に、
『公約 もう二度と休みません』 の文字。

本当は感動的なのはこの事実のはずなのだが、
なぜだかその経緯はよく思い出せない。


ただ、遠いあの日、
すずらん荘という名前のアパートで、
ドアを叩きながら 「Nくん!」 と呼びかけていた時の、
あのドキドキした、
そして紛れもなく、あれは "ワクワク" という感情だったと思うのだが、
あのシーンのことは、
なぜか決して忘れることはない。




茶トラ猫 白黒ネコ
2005/11/19  チイ&マロン






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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

過去は変えられる



子供の頃の一家団欒の風景を思い出そうとすると、なかなか思い出せない。

まったくなかったわけでもないと思うのだが、やはり思い出せない。


私が育った家庭は、父と母、私と2才年下の妹との4人家族だった。


家庭に笑いがなかったのかといえば、そういうわけでもない。
ただ家族全員が揃うシーンは、やすらぎよりも緊張を多く伴うものだった。


その理由は父親と母親の仲が悪かったからである。


そのせいか、子供の頃のことを思い出そうとすると、
決まって真っ先に思い浮かぶのは、父と母が喧嘩をしているシーンなのだ。
喧嘩をしているというよりは、
母が父を責め立てていると言った方がいいかもしれない。


それはいつも、日常の些細なことから始まった。
例えば、"父が食卓に醤油をこぼした" というような。

「なにやってるんよ!」

という母の叱責に始まり、そこから延々と続く父への攻撃が始まる。
話は過去へ過去へと遡り、あの時はどうだった、こうだったと
執拗に父を責めるのである。

父が部屋から逃げ出せば、後を追いかけて責め続けた。
母の言うことが事実なのか誇張なのか誤解なのか、
実のところ、両親の過去に関しては私や妹にはわからなかった。

ただそんな時の母は、パラノイアとヒステリーが合体したみたいになって、
私たちの「やめて!」と叫ぶ声くらいでは止めることができなかった。

遂に父の堪忍袋の緒が切れて、母に手が出る。
母もまた向かっていくので、最後には取っ組み合いになる。

そんなことが日常茶飯事だった。

だから父と母が揃っている時は、どこか戦々恐々としていた。
家にいる時の父は、たいがい神経質そうな顔をしていて、
テレビのそばに座っている父に、「チャンネルを変えて」(回すチャンネル式の時代!)
と頼むことすら、気を使ってできなかった。



実は、今更両親のすったもんだまで晒すことに申し訳ない想いがなくもない。
別に恨みつらみがあるわけではないし(まあ、若い頃は多少はあったけど)、
どころか、両親にとても感謝しているし、もちろん愛してもいる。

まがりなりにも一家団欒と呼べるようなシーンも、
私より先に結婚した妹に子供ができた頃からは、訪れるようになった。
「なんか人並みの家庭っぽくなってきたやん」と妹と言い合ったものた。
(まあ、今でもすったもんだは健在だが)


ただ、それでもここを避けて通れないと思うのは、
今でも子供の頃のことを思い出そうとすると、一番にこのシーンを思い出すからである。
そしてたいがい泣けてくる。

親との関係が修復しているのにも関わらずである。

いまだ心の中に小さな少女が住んでいるのを感じる。
その少女は何かが怖くて震えていて、小さな殻の中から出られないでいるのだ。



本当は薄々と、過去は変えられるということに気づき始めている。

今思い出す過去は紛れもなく、膨大なデータベースの中から
今の自分が選び取ってくる情報だからだ。
それは今現在の自分自身を反映している。

それはもう、両親との関係性の問題ですらなくなっている。
それは、自分と自分を取り巻く世界との問題なのだ。

この世界が、本当に安心できる場所だと
私自身がまだ認識できていないということ。


私は私のままで大丈夫?

私は私のままで愛してもらえるの?


小さな少女は殻の中から、おそるおそるそう尋ねているのだ、きっと。


心の中にその少女が住んでいるせいで、
自分が見ている外の世界には、おそらく" 憂い "というフィルターがかかっている。


クリアーな世界を観たいと思う。


ずーっと怖くてできなかった、心の棚卸をしよう。
心の中にあふれんばかりに混沌として在るもの。
すべて外の棚に整理してゆく。

整理できたら、慈しんでゆるやかに手放す。
そうしたら、空っぽになった心に、
きっと新しい風が吹き込んでくる。


その時には、きっと違う過去を思い出せる気がする。









茶トラ子猫 マロン
2005/10/21 マロン







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